国民栄誉賞授与へ  "震災王子"羽生結弦、偽りの"売名被災体験" 「アイスリンク仙台で練習中に被災した」の大嘘  第7回 誰が嘘をついたのか 徹底検証(1)



 前回 第6回 羽生の無事確認日時にまつわる報道

までで判明したことは、

2011年3月11日16時41分になされた鈴木明子のツイートによれば、2011年3月11日14時46分の震災発生時にアイスリンク仙台にいたスケーター全員の無事が羽生のジャンプコーチである田中総司とともに確認されたのは、震災発生から2時間も経たない時点であった。

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ところが、日刊スポーツの記事によれば、羽生結弦の無事が確認されたのは震災発生日から2日後の3月13日朝だった。

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佳菜子は不安で表情こわばる/フィギュア 2011年3月14日8時27分 日刊スポーツ

以上の情報は、羽生は震災発生時にアイスリンク仙台にいたという羽生の被災体験談と矛盾している。

3月11日震災当日のツイートから4月9日の羽生自身の発言に至るまで、様々な情報が流れているため、ここで改めて整理する。

・鈴木明子のツイート

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・日刊スポーツの記事(村上佳菜子の発言)

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・仙台放送の震災特番

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・日刊スポーツの記事(羽生の発言)

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荒川が復興願いイナバウアー/フィギュア2011年4月10日9時17分 日刊スポーツ

 

以上の情報の伝達を時間経過に従って以下の通り整理した。

なお、表記は次のとおりにする。

ーーーーーーーーーーーーー

(情報の伝達の順序)情報伝達の日時 情報発信者情報受信者

情報発信者から情報受信者に伝達された情報の内容>

ーーーーーーーーーーーーー

 

(1)3月11日  田中総司中庭健介

<私は震災発生時にアイスリンク仙台にいたスケーター全員の無事を確認した>

(2)3月11日  中庭健介鈴木明子

<田中総司が震災発生時にアイスリンク仙台にいたスケーター全員の無事を確認した、と田中総司が私に対し伝えた>

(3)3月11日 16時41分 鈴木明子不特定多数の一般人

<田中総司が震災発生時にアイスリンク仙台にいたスケーター全員の無事を確認した、と田中総司が中庭健介に伝えたことを、中庭健介が私に対し伝えた>

(4)3月13日 日本スケート連盟関係者村上佳菜子

<我々日本スケート連盟は3月13日朝に羽生結弦の無事を確認した>

(5)3月13日 村上佳菜子日刊スポーツ他マスコミ

<日本スケート連盟が3月13日朝に羽生結弦の無事を確認した、と日本スケート連盟関係者が私に対し伝えた>

(6) 3月14日 日刊スポーツ不特定多数の一般人

<日本スケート連盟が3月13日朝に羽生結弦の無事を確認した、と日本スケート連盟関係者が私に伝えたことを、村上佳菜子が我々マスコミに対し伝えた>

(7) 3月17日 視聴者仙台放送

<私はアイスリンク仙台関係者である。私は震災発生時にアイスリンク仙台で羽生結弦の無事を確認した。>

(8)3月17日 20時52分頃 仙台放送一不特定多数の一般人

<アイスリンク仙台関係者が震災発生時にアイスリンク仙台で羽生結弦の無事を確認した、とアイスリンク仙台関係者が我々仙台放送に対し伝えた>

(9)4月9日 羽生結弦日刊スポーツ他マスコミ

<私は震災発生時にアイスリンク仙台にいた>

(10)4月10日 日刊スポーツ不特定多数の一般人

<羽生結弦は震災発生時にアイスリンク仙台にいた、と羽生結弦が我々マスコミに対し伝えた>

(1)から(10)までの伝達情報は相互に矛盾している。

いずれの情報も震災発生時から1ヶ月以内に伝達されたものであるから、「記憶違い」ということはありえない。つまり、どれかが意図的になされた嘘ということになる。

一体、誰が嘘をついたのか?

さて、皆さんはどう思いますか?

さらに徹底検証は続く。

 

次回

国民栄誉賞授与へ  "震災王子"羽生結弦、偽りの"売名被災体験"

「アイスリンク仙台で練習中に被災した」の大嘘

第8回 誰が嘘をついたのか 徹底検証(2)

国民栄誉賞授与へ  "震災王子"羽生結弦、偽りの"売名被災体験" 「アイスリンク仙台で練習中に被災した」の大嘘  第6回 羽生の無事確認日時にまつわる報道



前回 第5回 震災発生時のアイスリンク仙台にまつわる重要情報

では、羽生の被災体験談が真実ならば、震災発生時である2011年3月11日(金曜日)14時46分、羽生は、アイスリンク仙台で、彼のジャンプコーチ田中総司の指導のもとで練習ており、震災発生時から2時間も経たないうちに日本スケート連盟により羽生の無事が確認されたことになるはずであることを明らかにした。

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では、羽生の無事確認にまつわる実際の報道はどうだったのか?

<フィギュア:愛知県選手権>◇最終日◇13日◇名古屋市・日本ガイシアリーナ

 期待の新星・村上佳菜子(16=中京大中京高1年)が、自己最高得点で優勝した。黒と赤のシックな衣装を身にまとってフリーに登場。落ち着いた演技で、序盤の連続ジャンプなど全てのジャンプを成功した。前日のショートプログラムに続き、ノーミスの完璧な演技で130・56点を記録。地方大会のため参考記録ながら、計194・31点の自己ベストで他の選手を寄せ付けなかった。

 この日朝まで、不安な時間を過ごしていた。東日本大震災に見舞われた仙台出身で、ともに昨年の世界ジュニア優勝の羽生結弦(ゆづる)と連絡が取れない状況が続いていた。同学年の安否を心配していたが「連盟の人から、朝に連絡がついたと言われました」という。不安と恐怖で表情がこわばる場面もあった。

佳菜子は不安で表情こわばる/フィギュア 2011年3月14日8時27分 日刊スポーツ

皆さんは、ここで矛盾が生じているのはお気づきだろうか?

 

震災発生時である2011年3月11日(金曜日)14時46分から2時間も経過しない時点で、アイスリンク仙台にいたスケーター全員の無事が日本スケート連盟を含む外部に確認され、一般人すら知りうる状態になっていた。

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ところが、マスコミの報道によれば日本スケート連盟による羽生の無事が初めて確認されたのは3月13日朝である。

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さて、この矛盾をどう考えるべきか?

次回以降、複数回にわたって徹底検証する。

次回

 国民栄誉賞授与へ  "震災王子"羽生結弦、偽りの"売名被災体験"

「アイスリンク仙台で練習中に被災した」の大嘘

第7回 誰が嘘をついたのか 徹底検証(1)



(記事内 敬称略)

国民栄誉賞授与へ  "震災王子"羽生結弦、偽りの"売名被災体験"「アイスリンク仙台で練習中に被災した」の大嘘 第5回 震災発生時のアイスリンク仙台にまつわる重要情報



前回の第4回 羽生の被災体験談”真実説”の論拠

にて、”真実説”の論拠として震災発生時から2011年3月11日から6日後の3月17日20時50分頃、仙台放送の震災特番で、震災発生時、羽生はアイスリンク仙台で練習していた、という内容のメールが読み上げられたことを紹介した。

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さて、震災発生時にアイスリンク仙台にいたスケーターの安否確認状況については、実はすでに震災が発生した3月11日のうちに、プロスケーター鈴木明子のツイートにより明らかになっている。

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このツイートは震災発生時である2011年3月11日(金曜日)14時46分から1時間55分後の16時41分になされている。

鈴木は仙台市にある東北福祉大学を卒業しており、仙台市に居住していた期間がある。

Akiko Suzuki Fan Club

東北福祉大学HP

 鈴木の上記ツイートにある「そうしくん」とは、当時の羽生のジャンプコーチ(ジャンプを専門に指導するコーチ)で、アイスリンク仙台のスタッフでもある、田中総司である。

田中そうし

 11年夏、青森県八戸市。「跳んでみせてくれよっ」。ジャンプコーチの田中総司さん(31)に促され、助走に入る。靴の刃で氷を削って跳び上がる「ザッ」という音、着氷の「トン」という音が、静寂の中、響いた。人生初の4回転サルコーを決めた瞬間だった。「先生! サルコー、下りたよ」。羽生がこんな笑顔を見せたのは、震災後初めてだった。

羽生、金色の勇気 震災で折れた心、支えられて再起 2014年2月16日付 朝日新聞 朝刊1面

  当日は午前10時から来場者が書いた応援メッセージを大型スクリーンで紹介し、正午にフリーのPVを始める。解説は、羽生選手が通った仙台市泉区のアイスリンク仙台のスタッフで、フィギュアスケート長野五輪ペア代表の荒井万里絵さんと、元全日本ジュニア選手権覇者の田中総司さん(東北高出)が担当する。

<平昌五輪>仙台で17日フィギュアPV 羽生選手の演技詳しく解説 特製バンダナプレゼントも 2018年02月16日 金曜日 河北新報

 また、鈴木の上記ツイートにある「泉のリンク」とは、仙台市泉区(旧:泉市)にある「アイスリンク仙台」を指す。

アイスリンク仙台   所在地 宮城県仙台市泉区高玉町9-2

アイスリンク仙台

☝️ アイスリンク仙台の内部写真

つまり、羽生の被災体験談と上記ツイート情報を総合すると、震災発生時である2011年3月11日(金曜日)14時46分、羽生は、アイスリンク仙台で、彼のジャンプコーチである田中の指導のもとで練習していたことになる。

そして、震災発生直後に田中等により羽生を含めたアイスリンク仙台にいたスケーター全員の無事が確認されて、その無事確認の情報は、震災発生時から2時間も経過しないうちに、外部に伝達していたことになる。

羽生は当時、16歳の若さで2011年2月に台北市で開催された「四大陸選手権」というフィギュアスケートの国際大会で銀メダルを獲得し、世間から注目を浴び始めていたところだった。

高橋が優勝!羽生2位、小塚4位 2011年2月19日 スポニチアネックス

ISU Four Continents Figure Skating Championships 2011   Men Results 

そのため、フィギュアスケート競技を管轄する日本スケート連盟としては、すでに東北地方でトップ選手であった羽生の安否が最大の懸念事項であった。日本スケート連盟は、震災発生時から2時間も経過しないうちに羽生の無事が確認できたということになる。

ちなみに、鈴木の上記ツイートにある「けんちゃん」とは、中庭健介である。鈴木と中庭はいずれもフィギュアスケートのコーチである長久保裕 に当時師事しており、近しい関係にあった。

270px-Kensuke_Nakaniwa_2003_NHK_Trophy

しかし、実際に報道された羽生の無事確認の日時は、上記と異なるのである。

次回

国民栄誉賞授与へ  "震災王子"羽生結弦、偽りの"売名被災体験"

「アイスリンク仙台で練習中に被災した」の大嘘

第6回 羽生の無事確認日時にまつわる報道



(記事内 敬称略)

国民栄誉賞授与へ  "震災王子"羽生結弦、偽りの"売名被災体験"「アイスリンク仙台で練習中に被災した」の大嘘 第4回 羽生の被災体験談”真実説”の論拠



前回  第3回 羽生結弦が語る被災体験談とは

のおさらい

羽の被災体験談の要点は次のとおり。

A  震災が起きた2011年3月11日(金曜日)14時46分、羽生は仙台市泉区

アイスリンク仙台

(画像)アイスリンク仙台の内部

B  震災が起きた3月11日(金曜日)から14日(月曜日)までの4日間、羽生は仙台市内の避難所で過ごした

(画像)避難所だった仙台市立将監西小学校体育館を、2012年1月、羽生がテレビ番組の企画で訪れた際の映像

羽生の被災体験談が真実であるとする論拠として、当時のテレビ番組の放送が挙げられている。

 ”あなたの声をお寄せください

shinsai@ox-tv.co.jp”

と視聴者からメールを募集している。

スクリーンショット 2018-04-17 22.55.52

”ox-tv”というのは宮城県の民放テレビ局である仙台放送である。

仙台放送 HP

上記番組は、仙台放送の震災特番で、広く視聴者から安否情報を含め様々な震災情報を視聴者からメールで募集していたことがわかる。

 同番組では次のような視聴者からのメールが読み上げられた。

まず一通ご紹介します。

「泉区にありますアイスリンク仙台です。」スケート場ですね。

「従業員、インストラクター、皆大丈夫です。震災時、羽生結弦くんも練習していましたが無事です。」ということをいただきました。

アイスリンク仙台、震災時はあのフィギュアスケートの東北高校の羽生結弦選手も練習していたということですが、無事だというメールをいただきました。

つまり、視聴者から

泉区にありますアイスリンク仙台です。従業員、インストラクター、皆大丈夫です。震災時、羽生結弦くんも練習していましたが無事です。」

という内容のメールが仙台放送の上記メールアドレス(shinsai@ox-tv.co.jp)に届き、仙台放送の緊急特番にて読み上げられた、ということである。

さて、仙台放送の緊急特番で上記メールを読み上げられた時間については、能登直のツイートが参考となる。

スクリーンショット 2018-04-17 22.03.40

つまり、仙台放送の震災特番でこのメールが読み上げられたのは、震災発生2011年3月11日から6日後の3月17日午後8時50分(20時50分)頃ということになる。

なお、このツィートをした能登直は、羽生くんの専属カメラマンである。

SUNAO NOTO HP



羽生の専属カメラマンである能登の上記ツイートにより、視聴者からの上記メール内容が仙台放送の放送エリア外にも広く拡散されることとなった。

以上に述べた羽生の被災体験談”真実説”の論拠の妥当性については後の回で検討する。

次回

国民栄誉賞授与へ  "震災王子"羽生結弦、偽りの"売名被災体験"「アイスリンク仙台で練習中に被災した」の大嘘

第5回 震災発生時のアイスリンク仙台にまつわる重要情報



(記事内 敬称略)

国民栄誉賞授与へ  "震災王子"羽生結弦、偽りの"売名被災体験"「アイスリンク仙台で練習中に被災した」の大嘘  第3回 羽生結弦が語る被災体験談とは



ここで羽生結弦の被災体験談を紹介する。

 羽生が自ら公の場で被災体験談を語ったのは、東日本大震災が起こった2011年3月11日から29日経過後の2011年4月9日である。

語った場は、フィギュアスケートの東日本大震災チャリティー演技会が行われた神戸市立ポートアイランドスポーツセンターである。

羽生 演技会

この演技会には、羽生くんの他、10年バンクーバー五輪男子銅メダルの高橋大輔や、宮城県育ちで06年トリノ五輪女子金メダルの荒川静香らが参加し、チャリティーオークションや募金活動では約1270万円を集めた。

演技会 高橋

震災発生から1ヶ月も経過していない同日、当時16歳の羽生はマスコミに向かって自らの仙台での被災体験談を語っている。

仙台出身で昨年の世界ジュニア優勝の羽生結弦(ゆづる、16)は、震災時は宮城県内で練習中。スケート靴のまま避難したという。4日間は避難所生活を余儀なくされ「人間の無力さ、自分の街が崩壊していく悔しさ、恐怖を感じました」と振り返った。「この思いをぶつけたかった」と力強い滑りをみせた。(2011年4月10日9時17分 日刊スポーツ)

荒川が復興願いイナバウアー/フィギュア 2011年4月10日 日刊スポーツ

つまり、羽生の被災体験談によれば、2011年3月11日(金曜日)14時46分の震災発生時、羽生んは「アイスリンク仙台」という仙台市泉区にあるアイスリンクで練習していたことになる。

アイスリンク仙台 所在地 〒981-3116 

アイスリンク仙台

(画像)アイスリンク仙台の内部

アイスリンク仙台のある仙台市泉区はかつては泉市であった。

泉市は1988年に仙台市に編入合併し仙台市泉区となった。仙台市で「泉(いずみ)」といえば仙台市泉区のことを指す。

ウィキペディア 泉市

google map 泉区

さて、羽生の被災体験談は、2012年4月に刊行した彼の自叙伝「蒼い炎」に詳しく書いてある。

蒼い炎

ここでは、その自叙伝の情報をもとに作成された2015年1月の雑誌記事を簡単に紹介する。

象徴的な出来事が、あの3・11、東日本大震災の日にあった。地震が起きた瞬間、羽生はアイスリンク仙台で練習中だった。突然すさまじい轟音と共に大きな揺れに襲われると、羽生は先輩スケーターにしがみつき、「やだやだやだ」と叫んだ。先輩が「大丈夫、大丈夫だから」と言っても、ただ泣いて震えていた。(2015年1月30日 週刊現代)

天才・羽生結弦を育てた「羽生家の家訓」2015年1月30日 週刊現代

また、羽生の被災体験談によれば、羽生は避難所となった小学校の体育館で彼の家族と4日間過ごしたことになる。

この小学校は仙台市立将監西小学校だという。

震災発生日である2011年3月11日からおよそ10ヶ月経過後の2012年1月に、当時17歳の羽生はテレビ番組の企画で、避難所になった仙台市立将監西小学校体育館を訪れている。

避難場所

避難場所1

 以上、羽生の被災体験談の要点をまとめると

A  震災が起きた2011年3月11日(金曜日)14時46分、羽生は仙台市泉区

B  震災が起きた3月11日(金曜日)から14日(月曜日)までの4日間、羽生は仙台市内の避難所で過ごした

ということになる。

次回は、羽生の被災体験談が真実であるとする側の論拠を紹介する。

次回

国民栄誉賞授与へ  "震災王子"羽生結弦、偽りの"売名被災体験"「アイスリンク仙台で練習中に被災した」の大嘘

第4回 羽生の被災体験談”真実説”の論拠



(記事内、敬称略)

国民栄誉賞授与へ  "震災王子"羽生結弦、偽りの"売名被災体験"「アイスリンク仙台で練習中に被災した」の大嘘 第2回 東日本大震災の概要



羽生結弦による被災体験談に入る前に、東日本大震災の概要をおさらいする。

 ISU Grand Prix of Figure Skating Final 2014/2015 - Day Three

・2011年(平成23年)3月11日(金曜日)14時46分18秒、宮城県牡鹿半島の東南東沖130km(北緯38度06.2分、東経142度51.6分、深さ24km)を震源とする東北地方太平洋沖地震が発生した。(wikipedia 東日本大震災)

ウィキペディア 東日本大震災

東日本大震災による宮城県の震度は次の通りである。

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宮城県庁 東日本大震災の概要と特徴

西友.jpeg

(画像)アイスリンク仙台に隣接するスーパー西友

次回

国民栄誉賞授与へ  "震災王子"羽生結弦、偽りの"売名被災体験"「アイスリンク仙台で練習中に被災した」の大嘘

第3回 羽生結弦が語る被災体験談とは

 

(記事内、敬称略)



国民栄誉賞授与へ  "震災王子"羽生結弦、偽りの"売名被災体験"「アイスリンク仙台で練習中に被災した」の大嘘 第1回 羽生結弦、国民栄誉賞授与へ



羽生結弦は平昌五輪のフィギュアスケート個人戦男子で金メダルを獲得した。これはソチ五輪に続く五輪連覇で、男子フィギュアの五輪連覇は66年ぶりとなる。

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羽生結弦の五輪連覇を機に安倍晋三首相が国民栄誉賞の授与の検討を始めた。

今般、羽生結弦(はにゅうゆづる)氏が平昌(ピョンチャン)オリンピックにおいて連覇を達成されました。冬季オリンピックでの連覇は、個人種目として日本人初であり、世界的にも、フィギュアスケート男子シングル競技での連覇は66年ぶり。正に、歴史に残る快挙となりました。羽生氏は、かつて仙台を本拠地として活動されていましたが、東日本大震災による被災を乗り越えて、ソチオリンピックで金メダルを獲得し、さらに、今回の平昌オリンピックでは、大会直前の大きなけがを乗り越えて、連覇を成し遂げられました。今回の快挙は、日本国民に大きな感動と勇気、社会へ明るい夢と希望を与え、そして、震災復興への力強いメッセージとなりました。(2018年3月2日菅 義偉 内閣官房長官)

首相官邸 内閣官房長官記者会見平成30年3月2日(金)午前

政府インターネットテレビ 平成30年3月2日(金)午前-内閣官房長官記者会見

このように、国民栄誉賞授与の理由として、単に五輪連覇だけでなく 「東日本大震災による被災を乗り越えて」という点が強調されている。

しかし、羽生には従前から、その被災体験談は嘘ではないか、との噂がまことしやかに流れていた。国民栄誉賞となればその国民的関心は高く、彼の被災体験談が真実か嘘かを検討すべき公共性、公益性は極めて高くなっている。

そこで、当ブログでは彼の被災体験談について連載形式にて検討していく。

次回

国民栄誉賞授与へ  "震災王子"羽生結弦、偽りの"売名被災体験"「アイスリンク仙台で練習中に被災した」の大嘘

第2回 東日本大震災の概要

 

(記事内、敬称略)